戦争経験者の祖父母と見た『ゴジラ(1954)』

先日、田舎に帰った時の事。

僕は最近、田舎に行くときはPCと映画数本持って行って祖父母と一緒に鑑賞するようにしている。

今まで鑑賞したのは、祖父向けに石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』『夜霧よ今夜もありがとう』、祖母向けにディズニーの『眠れる森の美女』『塔の上のラプンツェル』等。

祖母は地元の公民館で『アナと雪の女王』が上映されたのを見に行ったらしくかなり衝撃を受けていたので、僕が帰省するたびに新しくディズニー映画を持って行って鑑賞している。元々映画は好きだったみたいだ。

 

逆に祖父はあまりメディアを見ない人で、基本テレビはニュースと野球中継しか見ない。

当然映画にもほとんど興味がなく、石原裕次郎の映画は例外的に好きだった。

最近は趣味もあまり無くなってしまったらしい。

 

今回そんな祖父に石原裕次郎以外の映画に興味を持ってもらいたいと思い、僕はある映画を持って行く事にした。

『ゴジラ(1954)』だ。

 

何故、この映画を選んだかというと一つは僕が無類の怪獣好きだから。

もう一つは、この映画が「戦争」の映画だったから。

祖父も祖母も戦争経験者だ。

祖父は少年期、祖母は幼少期にそれぞれ戦争を経験していた。

祖父からは海岸でキノコ雲を見た話、野花を摘み取って食べていた話、防空壕の話、終戦のその日に食料を求め深い怪我を負ってしまった話等を僕は何度も何度も聞かされていた。

遊びに行くたびに聞かせてくれる。もう暗唱できるかもしれない。

当然、僕は戦争のあったその時代を知らない。だから僕はいつも祖父の話を聞いている時、頭の中で映画『ゴジラ』の中で見たような風景を思い浮かべながら祖父の少年期の出来事を想像していた。

祖父が伝えたかった事、『ゴジラ』が伝えたかった事、それはどちらとも「戦争の恐ろしさと愚かさ」だ。

『ゴジラ』…この映画なら、祖父の興味を引けるのではないかと考えた。

 

こうして祖父母と『ゴジラ』を鑑賞する事になった。

祖父はやはり乗り気ではなかったので古い映画を見るとだけ伝えた。

二人ともゴジラという怪獣については知っていたが、この映画については公開していたことすらも知らなかった。祖母はどうもウルトラマンと混同していたようだ。

 

映画が始まり、最初に反応を示したのは祖母だった。あの有名なオープニングの出演者の部分だ。宝田明、志村喬、平田昭彦河内桃子、祖母はみんな知っていた。僕の様な怪獣オタクには東宝特撮の俳優さんというイメージしが強いのだが、考えてみれば祖父母の時代の大スタアたちなのだ。恥ずかしながら今更そんなことに気付かされた。

 

オープニングが終わり、ファーストシーンの襲撃される漁船のシーンに雪崩れ込む。

ここで祖父が食いついた。祖父は青年期に漁船で通信技師をしており、劇中でSOSの通信をする技師を見て朝鮮戦争(祖父は朝鮮騒乱と言っていた)の時に朝鮮船と遭遇しないかと恐ろしかったと語っていた。

 

それ以降、祖父は画面を食い入る様に観ていた。大戸島襲撃シーンが終わり、破壊された村が映し出される。そして遂に、ゴジラがその姿を現わす。山の向こうからグワッと頭を持ち上げ、逃げ惑う人々に吠え掛かるゴジラ。

僕はこの時、祖父が言った言葉の衝撃を忘れられない。

「本当にあんなのがいたのかね!?」

 

その言葉を聞いて僕は気づいた。

祖父は今、1954年当時銀幕で『ゴジラ』を見た観客と同じ様な体感をしている!

確かにあのシーンの生々しさ、リアルさはシリーズでもずば抜けついると思うが、実物だと思い込むのは意外と難しい。

祖父が一瞬でもゴジラがこの世界に存在しているのではないかと疑うという体感をしたのだと思うと怪獣オタクとして非常に羨ましい体感である。

しかし、間近でその体感をしている祖父を見ているだけで非常に貴重な体験だった。

 

ゴジラが姿を現してから物語は軽快なテンポでグングンと進んで行き、尾形、芹沢、恵美子たち人間のドラマを堪能した上で、すぐに東京上陸1回目に突入した。

ぬるっとした身体でズン…ズン…と海から上がってくるゴジラ。

橋を持ち上げてひっくり返すゴジラ。

尾で家屋を薙ぎ払うゴジラ。

走ってきた電車を踏み潰してから、咥えて叩き落とすゴジラ。

次々と容赦ない破壊描写が画面に映し出される。

ここにも怪獣オタクが…いや、多くの日本人が忘れてしまった矛盾があった。

何故、街が破壊されているのに喜んでいるのだろう?

 

祖父も祖母も街が破壊されて行く様子を見て、僕や他の視聴者同様に興奮していた。どちらかというと喜んでいた。

正直、僕の想像していた反応と違っていた。戦争経験者の二人はもっと悲愴な反応をすると想像してしまっていた。

この事については後でしっかりと語ろうと思う。

 

有刺鉄条網の設置により避難する人々のシーンはやはり祖父母が実際に見ていた風景そのものだそうだ。劇中で子供がリヤカーに預けられるシーンがあるが、祖母には同じような経験があるとの事。

 

そして直ぐにやって来る2度目の襲撃シーン。

1度目以上の絶望と興奮、そして謎の喜びが襲い来る。

今度は口から白熱光を放ち暴れまわる。

感電死作戦は失敗し、鉄塔はグニャリと曲がり簡単に有刺鉄線を突破。

ビルを叩き壊し、踏み潰し、焼き尽つくすゴジラ。

戦車出動もあえなく炎上、逃げ惑う人々も炎の餌食になる。

倒壊するテレビ塔、時計塔も国会議事堂も破壊され、ゼロ戦も歯が立たない。

 

「どうやっても死なんのかね…」

祖父が呟いた。

そう、僕らは知っているのだ。最終兵器があることを。しかし、祖父も祖母もまだそれを知らない。

考えてみるとこの時点でこの世界に存在するほとんどの兵器を使い果たしてしまっている。

あの原爆や水爆も効かないという。

なるほどこれなら、視聴者には全ての手段が失われたように見えるはず。

まさにオキシジェン・デストロイヤーはデウス・エクスマキナだったんだ。

僕も...何も知らない状態で見たかった。

 

破壊された帝都、病院悲惨な光景、悲劇の科学者。重たいシーンが、3度目の上陸かの如く僕たちを襲い来る。

そして、ついに最後…あのクライマックスが訪れる。

海に潜る青年2人。

祖母は言う、最初から嫌な予感がしてた。

祖父は改めて怪物ゴジラのその巨大さに驚いていた。

こんな巨大なものに本当に勝てるのかと。

作戦は成功、一人の科学者は自らの命を絶ってゴジラとともに海に溶けた。

ゴジラと芹沢がその身を呈して教えてくれたメッセージはやはり「戦争の恐ろしさ、愚かさ」だった。

 

しかし、今回学んだことはそこではない。

僕らはとんだ偏見をしている。

この映画はただ教訓を教えているだけの映画ではない。

もちろん反戦教育の映画でもない。

確かに上述した通り「戦争の恐ろしさ、愚かさ」をテーマとして扱った映画だけど…それだけじゃないよね。

ゴジラが大暴れの特撮シーンや尾形、恵美子、芹沢の人間模様などのエンターテイメント性が高い部分もこの映画の大きな魅力のひとつなんだ。

 

戦争経験者である祖父母も見て興奮した、誇張して言えば喜んでいた。

ゴジラが街を破壊するシーンは人間誰しもが持っている破壊衝動をうまく形にしたもので、きっと当時劇場に足を運んだ人もこれを求めて映画館にやってきたのだろう。

あのシーンでは、誰しも何故か逃げる側でなく破壊する側、ゴジラ側に立って映画を見てしまう時があるはず。

それはあのシーンがそれ程魅力的だからだということ。

これぞまさに特撮映画の醍醐味だ。

 

魅力的なシーンに戦争経験もなにも関係なかったのだ。

僕は根本から間違っていた。

確かにこの映画に祖父が興味を示したのは戦争が関わる映画だったからだが、祖父を最後まで引きつけていたのは大迫力のは特撮シーンと切ないドラマ等極上のエンターテイメントを持ち合わせた作品だったからだと僕は思っている。

 

今回改めて『ゴジラ』を見て感じたこと、それは僕たちはもっと空っぽな頭で『戦争』や『核』というフィルターをかけ過ぎないようにこの映画を見なきゃいけないこと。

あんまりテーマに目を取られすぎると逆に映画が正しく見れなくなってしまう。

もっとフレッシュに肩の力を抜いてみるのがいいのかもしれないなと痛感しました。

 

祖父にも良い刺激になったみたいだし、今度一人でじっくり見直したい。