「GODZILLA‐ゴジラ‐」考察~ギャレゴジは家族愛の映画だった?~

※以下の文章は以前僕が呟いたツイートを元に書き足しております。また、ネタバレを多く含みますのでご注意ください。

 上の画像はMonsterArtsをしようしたイラスト。

 

世界からゴジラ映画がなくなってから10年目にそれは嵐のようにやってきた。

この映画の公開が決まったとき、不安と期待で胸が高鳴り、脳内でアドレナリンがドクドクと湧き出しているのがわかるぐらい興奮したのを今でもはっきりと覚えている。(2008年ごろから情報は知っていたが、明確な情報が出た時の興奮は凄かった)

ギャレス・エドワーズ監督の描いた新しいゴジラは多くの人々魅了し、ゴジラ史に大きな足跡を残した。このギャレス監督の作った通称ギャレゴジはもしかすると次の時代のゴジラ像のスタンダートになるかもしれない。

そう思い、今回「Godzilla‐ゴジラ‐」におけるゴジラ像を中心にこの映画の物語の構造を検証してみた。

 

『GODZILLA ゴジラ』(原題: Godzilla)は、日本の同名映画キャラクターに基づいた2014年のアメリカ合衆国のSF怪獣映画である。

1999年、フィリピンの炭鉱で巨大な生物の骨の化石が発見される。その化石には卵の殻のようなものが寄生するように付着しており、そこから「何か」が誕生し海へと這い出た痕跡があった。

同じ年、日本の雀路羅(じゃんじら)市にある原子力発電所に謎の震源と電磁波が徐々に接近しているのが探知され、やがてその振動が炉心に異常をもたらし始めた。

この発電所に勤務していたブロディ夫妻は異常の調査を開始し、妻・サンディが炉の修理へと向かうが、謎の咆哮と共に巨大な地震が発生、炉心融解を伴う事故が起こってしまう。夫・ジョーはサンドラもろとも炉を閉鎖する苦渋の決断を下し生き延びるが、結局、放射性物質が撒き散らされた雀路羅市は完全に封鎖される事となった。

15年後の2014年、ジョーの息子フォードは成人しており、米軍での任期を終えてサンフランシスコの自分の家族の元へ戻っていた。しかしそこに日本に滞在していた父が雀路羅市に入り込んで逮捕されたという知らせが入る。

今なお事故の原因に執着する父に従ってフォードもまた雀路羅市に赴く。二人はそこで「ある異変」に気付くも、市の跡地で活動していた正体不明の組織に捕まり、連れて来られた研究施設で巨大な光る繭のようなものを目撃する。 

やがて繭から巨大怪獣“ムートー”が羽化。施設を破壊して逃げ去り、それに巻き込まれたジョーは命を落とす。

フォードは施設の責任者だった芹沢猪四郎に引き連れられ、彼から約60年前にその存在が確認され、人間による幾度もの核攻撃を受けて姿を消した最初の怪獣“ゴジラ”のことを聞かされる。ゴジラとムートーには生態的に深いつながりがあると考える芹沢はもしゴジラがムートーの誕生を察知すれば向こうも再び動き出すだろうという予測を立てる。

その頃、日本を飛び出したムートーはハワイに飛来し、そして芹沢の予想通りそれに呼応するかのようにゴジラもまたハワイに上陸。ゴジラとムートー、この二種の怪獣の遥か太古から続く因縁の対決が始まろうとしていた。(ニコニコ大百科より)

 

今回、僕が考察して見つけたのは、『「神」としてのゴジラ像』と『家族の物語としてのゴジラ』だ。

まずは前者について考察していく。

 

「神」としてのゴジラ像

 

本作のゴジラは徹底して『自然界の神』として描かている。

ペルム紀に生息し核を餌としていた恐るべき巨大生物(M.U.T.O)の一種で、自然界の頂点に立っていた存在。そのなかで絶滅を逃れ地下深くへと逃れていた生き残りが現代の核によって目覚めたというのが今回のゴジラの設定だ。

この設定は今までのゴジラの設定を元にしつつも、今までのゴジラとは全く違うものとなっている。

中でも顕著に違うのはゴジラの出身および誕生である。

有名な日本のゴジラの設定は「米国の核実験により古代に生息していた恐竜が巨大怪獣化したもの」ということに対し、本作のゴジラは元からあの巨大な体をもち核を食う生物だったということだ。

平成ゴジラにも核を接種して生きているという設定が存在するが、本作のゴジラとは違い人間の水爆実験の影響で怪獣化した結果核を摂取するようになったという設定であり、元から核を摂取して生きていた生物だったという設定は本作が初だ。

このことに違和感をもつ旧作ファンもいるかもしれないが、初代ゴジラの「ジュラ紀から白亜紀にかけてまれに生息していた海棲爬虫類と陸上獣類の中間生態を持つ生物が水爆で目覚めた」という設定と照らし合わせてみると解釈の差だけなのかもしれない。

しかし、本作のゴジラの設定にはそれ以上に興味深い理由がある。だかそれは先に劇中でのゴジラの扱いについて話してから言及しよう。

 

 

映画の長さに対してゴジラの出番が来るのが非常に遅く、登場時間も非常に短い。

しかし、それが初登場時の凄まじい咆哮や敵怪獣ムートーとの激しい戦いのインパクトに繋がっておりこの映画の魅力の1つになっている。

さらに本作のゴジラはアメリカ軍がどんな攻撃をしようと倒せなかった2体のムートーを自分の力だけで倒してしまうなど、徹底的にデウス・エクスマキナな存在として物語に君臨している。

 

それは1956年に英名が『“God”zilla』と名付けられた時からの宿命かもしれない。

興味深いのが本作の劇中でゴジラに対して「God」という言葉が使われているという事だ。

日本では「God=神」だと連想する人が多いかもしれないが、実際は「神」と「God」は厳密にいうと同義語ではない。「God」とはキリスト教やユダヤ教の神を現す言葉であって、「God」は全ての神に対して使われる言葉ではないのだ。

グレアム博士がゴジラを神と称するシーンは予告でも印象的に使わられているが、英語圏のファンは鳥肌ものだったんじゃないだろうか?

実は日本人が思う以上に海外では、ゴジラは「God」の名を冠しているということは重要だと思われているのかもしれない。

だからこそ、本作ではゴジラは明確に人類の敵に設定されておらず、出生の設定面も日本のゴジラと少し変わってくるのだ。

『God』を人類が生み出してはいけない。

本作のゴジラが「人間が水爆実験で生み出してしまった怪獣」ではなくの「元から核を摂取して生きていた怪獣」だったのは本作のゴジラが『God』であったからほかならない。

 

ゴジラの名前が『God zilla』な以上、ハリウッドでは当然なんだと今回改めて考えてみて実感した。

 

 

家族の物語としてのゴジラ

 

この映画で面白いことは、ゴジラが演出的にフォード・ブロディの父親ジョー・ブロディの生まれ変わりとして描かれていることだ。

よく映画を見ると分かるのだが、ゴジラの登場はジョーが死亡し物語からフェードアウトするタイミングと重なっており、ジョーとゴジラが入れ替わった形となっている。

フォードがムートーに襲われ窮地に追い込まれた時2度もゴジラに救われる形になっていること、放射熱線を使い体力を消耗したゴジラが大地に崩れるシーンでフォードとゴジラのアイコンタクトが行われているのはそのためだと考える。

ジョーの孫であるサム・ブロディの乗るバスがゴールデン・ゲート・ブリッジ上で米軍の攻撃によって窮地に陥った時にバスを守るような描写があるのもそのためだ。

これは僕の想像の話になるが、

 

フィリピンの炭鉱にあったゴジラの骨格は、ムートーに寄生され死亡した雌の個体ゴジラで、映画に登場したゴジラは雄の個体で、死亡した雌の個体とはつがいだった…

 

そう考えれば、ムートーに妻を殺されたジョーと同じ境遇となる。

あのゴジラは『God』であるあと同時にジョー・ブロディの生まれ変わりなのだ。

 

 

 

こうしてみると映画全体が家族の物語になっていて面白い。

2代に渡るブロディ一家の家族の愛の物語、敵でありながら徹底的に描かれたムート夫妻の愛情、そして実は暗示されていたゴジラ夫妻。

そう、『GODZILLA-ゴジラ-』は家族愛がたっぷり詰まった物語なのだ。

改めて『モンスターズ』を撮ったギャレス監督にしか撮れない作品だったと思った。

 

最近、続編「GODZILLA2」の監督をギャレス氏が降板したというニュースを耳にし大変残念に思う。

日本では一か月後の7月にシン・ゴジラが公開されるがその詳細はまだ明らかにされておらず、GODZILLA2」の監督についてもまだ情報が来ていない。

『GODZILLA-ゴジラ-』でギャレス・エドワーズ監督が生み出した新しいゴジラ像が、これから作られていくであろうゴジラを初めとした怪獣映画にどう影響していくのか、それを大の怪獣好きとして見守っていきたい。

 

 

(2016/6/12)